フォーレ・レクイエムコンサートを振り返って

コンサート

  • まず初めに、今回のフォーレ・レクイエムの演奏会に関して率直なご感想を伺いたいと思います

    宇田川
    うん。
    まあ、総括というような意味で、トータルでは割と満足のいった演奏会ができたのだろうと思います。
    非常にクオリティーの高いものともうちょっと頑張ったらよかったなと思うものもあるけれど全体的にはとてもいい出来だったと思いますよ。


  • その、よかったところというのは具体的にはどんなところでしょうか

    宇田川
    まず、『レクイエム』の合唱が良かったし、
     オーケストラ全体もとても良かったし、
     『ラシーヌ賛歌』もとても良かったし・・・
        曲目に関してもそうだし
     ソリスト、合唱団、オーケストラ
     それぞれに良かったと思うよ。
     その中でも『ラシーヌ賛歌』は特によかった。
     具体的には・・・何がその要因かなあ・・・    まず、
     “曲がいい”ってことかな。
    それから“歌いやすくて”
    “盛り上がりやすくて”
    “ディミヌエンドしやすくて”
    “フォルテが盛り上がって”
    “ピアニッシモに効果があって”
     みたいな、
     そういうようなことが書かれていて そこにみんなの意識が集中したってことなんじゃないかな。


  • リハーサルでは『ラシーヌ賛歌』は他の曲よりも 合わせる回数が少なかったですよね。 少ない回数でよくあそこまで・・・

    宇田川
    いや、だから 逆だよ。やっぱり心配事があるものほど時間をかけるんだよ。 だから、アンコールのサン・サーンスなんて、ほとんど合わせなくても出来るだろうって、僕の方では踏んでいたから、時間がないからやらなかったんじゃなくて、やらなくても出来るもの、あるいは
    逆に言うと、本番ならではのものが、出来る可能性があるものは、あえてたくさん練習しなくてもいいのだよ。
    ただしそれは、全体的にクオリティーが高いことが、実現できそうな気配がないと駄目だけど。
    ・・・
    あのアンコールのサン・サーンスは、本番ならではのものがいっぱいあった。
     そして僕自身も本番を振りながら、『今度はこうやってやろう』とか、そうすると彼らがそれに応えてきて、 『そう来たか』みたいな。」


  • なるほど。 舞台の上では、そういうやりとりがされていたのですねー・・・

    宇田川
    そう。それが、出来るだろうと踏んでいたところがあって・・・
    だから、たくさん時間をとらなくてもよかったのだよ。
     それは『ラシーヌ賛歌』もそうね。」


  • そういう意味では、レクイエムの難しさは何でしょうか。

    宇田川
    統一感・・・かな。
    今回のレクイエムの、こだわりは 一番最初に、フォーレが曲を書いた時に いわゆるその・・・、典礼に乗っ取った教会音楽という風に書いていなかったように思える節があって・・
    つまりそれは、死んだ人間たちの魂が 正しく向こう側へいけるように神様にお祈りをする、というような意味での『レクイエム』という“本来の姿”に彼は書きたいものを書き綴った、と。
    だから、最初から 典礼に乗っ取った必要なものを全部組み入れるということは 彼の中では意識されていなかった。
    だからこそ、『レクイエム』は全体的にすごく穏やかな曲が並んでいて 今日、日常的に演奏される わりと厳しい音楽がついている2番『Offertorium』と6番『Libera me』をあえて初演では演奏していないわけだから。
    それで、演奏した後で 教会サイドや色んなところから ちゃんと典礼に乗っ取って書いてほしいという依頼、というか注文があって それですぐに書き足すわけだけど。彼自身の中では『レクイエム』がいかにも、穏やかな平和の祈り、みたいなものを綴ってある曲集という風に 考えていたんだね。
    そういう意味での“統一感”というのは 逆に言うと、場合によってはどれを聴いても同じように聴こえないかどうかを チェックする必要があるし。
    単純にそれは、合唱曲だったりソロの曲が入っているだけで 充分変わって聴こえるかどうかっていうところは ちゃんとチェックしなくちゃいけないだろうと思っていたので・・・
    テンポ感とかね。音の厚み・薄さとか。トータルで比較を始終しながら 仕上げていったのだよ。
    そういう意味では 2番『Offertorium』と6番『Libera me』が入っていれば話はもう少し簡単なんだよ。
    穏やかとは対極にあるものだからその両側に、“平和を・・・”って歌ってればいいわけだからね。
    まあ、その・・・今回の演奏会のこだわりは一つに、
    初演バージョンであること。
    それはいわゆる宗教的な行事のために書かれているのではないということ。
    純粋に彼は 死者のために書いたんだと言っている。
    それから、フランス語なまりのラテン語でやるということ。
    それから、オーケストラを(各パート)1本ずつでやるということ。
    これは絶対条件でした。最初から。複数の人数でやることは、最初から全くなかった。


  • その、弦楽器が1本ずつでやる狙いというのは、やはり・・・ 一人一人のモチベーションの高さを引き出すということでしょうか。

    宇田川
    というか、最初のリハーサルの始まりにそう言ったように“自立して演奏できること” 自立するということは、一人だということだよ。


  • 責任感が伴いますね

    宇田川
    そんな単純なもののいい様ではないんだな。
    ・・・
    それは、指揮者の支持に従っているだけではないということです。
    つまり、指揮者がいても、例えばヴィオラとチェロとのやり取りみたいな“現場での会話”ができるということ。
    そういう意味では室内楽的と言ってもいいね。
    だから、指揮者を含めて“全員一人ずつである”必要があるんですよ。
      指揮者ですら、『あ~ヴィオラさんそう来るんだ』とか『そういうritか・・・じゃあ、みんなでこうやってやろうよ』とかって 指示を出すという、そういう作業だからね。
    『ヴィオラさん、そのritじゃ、僕が思ってるようなritとは違うから もっと少なめのritにしてよ』とか そういう話は一切ない。
    『あ~そうやってやりたいのね』って尊重する。」


  • 皆が同じライン上に立っているんですね。

    宇田川
    そうね。
    それは・・・ 基本的には最初に僕のアイディアがあって それがそれなりにみんなに伝わっていって ついては、向こうからその答えが返ってくると。
    そうすると、ぐっとおもしろくなり始めるんだよね。
    そして、それが全て“一人ずつ”なので やった甲斐があるし 効果がある。
    お客さんに伝わるんだね。
    ・・・
    あの会場でさ、あのコーラスの人数・テンションに オケは全く引けを取らなかったもんね。
    だから、そういうものは きっと音量じゃないんだよ。君の言うような 音楽の持っている“モチベーション”がちゃんと出れば 充分なんだよ。 例えば、コントラバス一人とオルガンだけでも あの合唱団のバス4人分は支えられるということだろ?
    それが、おもしろさなんだね。
    ・・・
    ところが、合唱という部分を一人ずつでやれる人がいるかというととたんに怪しい(笑)
    僕はとってもやってみたいと思うけど。全員一人ずつでやれたらかっこいいぞ~! すごいぞ~! ピタリと音程があってさ・・  でもそのかわり、カンニングブレスなんて一切できないぞ(笑)


  • 確かにそうですね(笑)

    宇田川
    ・・・
    まあ、そのこだわりの部分っていう・・・
    オーケストラが1本ずつとか、フランス語なまりのラテン語でやるということとか
    ・・・
    近代フランスの一番の作曲家である『フォーレらしくやる』ということ・・・
    ま、それは僕の仕事だったんだろうね。


  • “フォーレらしくやる”というのは、 どういうところにフォーレらしさがでてくるのでしょうか?

    宇田川
    それは全部楽譜を見ないと言えないよ。大雑把に“それがフォーレらしさ”なんて言えないよ。
    僕が考えてるフォーレらしさっていうのは、けっこう『体温が高い』
    フォーレは若いときにサンサーンスからワーグナーの作品をたくさん勉強させてもらったんだね。
    それでいて、ずっとああいう曲を書いているわけだから 彼の中の、テンションが割りと・・・低めなのかもしれないけど  音楽が持ってるエネルギーそのものは 決して低いものじゃないから・・・。


  • なるほど・・・体温が高いフォーレ・・・

    宇田川
    それから・・・ 僕がもうひとつ考えるのは、フォーレっていうのは すごい『旋法的』なんだということ、ね。
    和声的なんじゃなくてね。
    どういうことかわかります?
    まず、『対位法的である』ということだよ。
    要するに
    ドレミファソラシドではない
    レミファソラシドレとか
    ミファソラシドレミとか
    リディアとかドリアとか
    そういう、旋法で書けている と考えた方が 理解しやすいということだね。
    それは、フォーレはもう子供のうちから手に入れてるんだよ。宗教音楽学校というところに通っていたわけだから。
    それがフォーレの・・・基本的なアイデンティティだな、きっと。フォーレの根にあるものだよ。


  • 基本的なアイデンティティ・・・ そこまで肉薄していくから 音楽に説得力がでてくるんですね・・・きっと。

    宇田川
    いつも言うように作曲家とタメ口が聞けるようにならないと駄目なのだよ~!
    “な、ガブリエル。こんなんでいいんだよな?”って。
    それは、ひとつには長い間フォーレのリートをたくさん扱ってきたということと・・・
    レクイエムはだいぶ前から温めていたのだよ。
    10年は温めてるんじゃないかな。


  • その、10年前を振り返ったとき、 やっぱり“フランス語訛りのラテン語”“弦楽器は1本ずつ”というような コンセプトはその時点から決めていらっしゃったんですか?

    宇田川
    そうだね。
    ひとつには、亡くなった前の嫁さんの追悼公演でバッハの追悼カンタータと、カンプラのレクイエムをやってるの。
    そのときにすでに、“フランス語訛りのラテン語”でやってるのね。
    その頃は、米良君をはじめ、たくさん弟子がいたので僕のお弟子さんたちを中心に合唱団も作れたのだよ。
    ま、それを“東京モンテヴェルディ合唱団”というわけだけど。
    男性陣がけっこういたからね。
    ま、そこからあっていつかフォーレをまたこんな風にやってみたいなって思っていたのだよ。
    そういう意味ではブルックナーのミサとかも温めてあるんだよ?
    だから、今回が割りといい出来だったので『うたおに』とはいつかやってみたいと思ってるんだけど。 合唱団とトロンボーン3本!だけ!
    いい曲なんだよ~。
    それとカップリングして シベリウスの「フィンランディア」の合唱バージョンとかもやってみたいな~。あとはヘンデルの「メサイア」 メサイアも1本ずつのオケでやったら かっこいいと思うんだけどな~!
       ま、なにしろ 今回の演奏会の最終キーワードは みんなが自立していることだったかもしれないね。



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