12-小さい音に向かっていく音こそ
常に一方通行で、これ聴いてよ、聴いてよっていうんじゃなくて たまたまそこに出した音があって 出した音が人がいて 聴いている人がいるんだっていう・・・
「そこに音がある」・・・
「演奏している人と聴いている人がたまたまそこにいる」
なんか素敵な表現ですね。
あぁ・・・いいなぁ・・・そういうの。
そういうのができるといいよね。
それが理想だと思ってるんだ。
・・・それに尽きるんじゃないかな。
どうしたら、そんなことができるだろうね。
クレッシェンドのマークがあると、つい売り込んじゃったりするもんね。
音楽そのものが持ってるクレッシェンド感っていう以上に
演奏家のその、持っている感情を無理やりに相手に届ける傾向がある。
じゃあその、
押し並べて穏やかめにやればいいかっていうとそうじゃない。
テレビを見てて、カメラ目線のやついたら、すごく嫌だもんな!(笑)
それと一緒だよ(笑)
あははは!それすごい気になりますよね!(笑)
恥ずかしがって演技をしている役者を見るほど、恥ずかしいものはないもんね(笑)
逆に言うとな。
くさいものはいくらでもあるんだよ。
そうすると、
やっぱり自分を聴いてほしいという意味での、
クレッシェンドや大きい音や、
エスプレッシーボなものの表現の方がやりやすくて、
ふわぁっと引いて相手に手渡す・・・
ってほうが難しい、ってことははっきりしているよね。
・・・
まぁでも、
こうやって
小さな音しか出せない楽器を長い間扱っていると
小さい音に向かっていく音こそ、
最も美しいものである・・・と
確信しているもんね。
フォルテはそれの布石みたいなものですか。
そう。
だからSempre Forteでいつも吠えているように聴こえるオペラは・・・・・・。
・・・まぁ・・・歌は難しいよね。
常にフォルテに向かう意識の方が勝ってるもんね。
・・・・・・・・・
"今、こんなものにこだわっていて
ちょっと様子が見えてきましたよ。聴いてみてくださいませんか?"
っていうようなスタンスでやるほうが、おもしろいと思うんだよ。
こんなことができます、こんなこともできますって
毎回新しいことやるんではなくて
"今、こんなことにこだわっています。
ちょっと結果が出そうな感じなので、聴いてみてくださいませんか?"って。
それがこだわれれば、
その都度、その都度CDを作っていくっていうこともできると思うんだよね。
前回の無伴奏のツアーも録音したし
こないだ初めて歌ったツアーも録音したし
今回のも、秋に録音しようと思ってるんだ。
だから、
「こだわっているものはその都度形にしていく」と。
そういうスタンスにしようと思ってるんだ。
リサイタルで皆が知っている曲をやる必要はないのだよ。
そこでしか聴けない何かがある・・・っていう・・・
そうそう。それがやるたびに期待を持ててもらえれば
それはすでに大成功。つまり高い評価が得られてるってことだよね。
今回のバッハとマレーの演奏会だって
今度録音したら、もちろん演奏会のときとはまた全然違ってくるじゃないですか。
そうすると、やっぱり演奏会へ行くっていうことが価値がありますよね。
そこでしか聴けない。
そこでしか有り得ないアンサンブル。
現に二ヶ所別々の演奏会を聞きに来られた方もいらっしゃいましたしね
そうだね。
「そこでしか聴けない」かぁ・・・。
そう、そうだよ。ほんと。
「そこでしか聴けない」ってことを
弾いている側も聴いている側も期待感があれば
そこに音があって、
たまたま弾いている側と聴いている側が共通の認識を持てて・・・
って、やっぱそのへんが理想だろ。
そうすると、
音楽は偉大だよね?って言えるんだと思うんだよね。
<<おわり>>
- 2007年03月20日13:00
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