中村 忠:C.Ph.E.Bach 青年時代のフルート音楽

中村 忠 (フラウト・トラヴェルソ)
川原 千真 (バロック・ヴァイオリン)
福沢 宏 (ヴィオラ・ダ・ガンバ)
曽根麻矢子(チェンバロ)
試聴ファイル | CECILE RECORD |
![]() Allegro (MP3 audio 673KB) |
IMS 9701 |
税込定価¥3,150- (税抜価格¥3,000-) |
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青年時代のフルート音楽 | |
フルートと通奏低音のためのソナタ ホ短調 H.551/Wq.124
1737(23歳):フランクフルト |
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1 | Adagio |
2 | Allegro |
3 | Menuet |
フルートとチェンバロのためのソナタ ト短調 H.542,5 / BWV1020
1734(20歳)頃より以前:ライプツィヒ |
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4 | Allegro |
5 | Adagio |
6 | Allegro |
フルートと通奏低音のためのソナタ ト長調 H.548/ Wq.134
1735(21歳)頃より以前:フランクフルト |
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7 | Adagio |
8 | Allegro |
9 | Vivace |
フルート、ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト長調 H.568/ Wq.144
1731(17歳):ライプツィヒ |
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10 | Adagio |
11 | Allegro
![]() |
12 | Presto |
フルートとチェンバロのためのソナタ ホ長調 H.506 / Wq.84
1749(35歳)頃より以前:ベルリン |
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13 | Allegretto |
14 | Adagio di molto |
15 | Allegro assai |
フルートと通奏低音のためのソナタ イ短調 H.555/ Wq.128
1740(25歳):ベルリン |
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16 | Andante |
17 | Allegro |
18 | Vivace |
データ
フラウト・トラヴェルソ
Flauto traverso : Godfridus Adrinus Rottenburgh, ca. 1755 repaired by Koh-ichi Sugihara
バロック・ヴァイオリン
Baroque Violin : Atributed Pietro Testore, Milano 18c. secon half
ヴィオラ・ダ・ガンバ
Viola da Gamba : Anonymous, South Germany 18c.
チェンバロ
Cembalo : Bruce Kennedy, Amsterdam 1995 after M.Mietke, Berlin 東京古典楽器センター所蔵
Tunner: 佐藤 俊二
Exsecutive Producer: 宇田川貞夫
Recording Producer: 遠藤哲司
Recording Engineer: 永山欽也
Recording Location: 愛知県碧南市 エメラルド・ホール
Recording Date: 23-25, January 1997
Cover Art:小林 克 (Lumière 1991)
Technical Data
Microphone: M-149(TUBE) Neumann
Mic A/D Converter : D-19 Mic VALUE STUDER
Digital Editing System:DYAXIS-II STUDER
Monitor: JBL Speakers / STAX Headphones
Isoration Regulator:CSE
C.Ph.E.バッハ 自叙伝より
私、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは1714年3月ワイマールに生まれました。今はき私の父はヨーハン・ゼバスティアンで、いくつかの宮廷の楽長を勤め、最後はライプツィヒの音楽監督でありました。母はマリア・ばるばら・バッハで、優れた作曲家ヨーハン。ミヒャエルバッハの末娘でありました。私はライプツィヒのトーマス学校での勉学を終えた後は、ライプツィヒとフランクフルト(・アン・デア・オーデル)の両大学で法学を学びました。作曲とクラヴィーア奏法について、わたしは父親以外の人を師と仰いだことはありません。
1738年、大学での勉強を終えてベルリンに行った折、ある高貴な若者(H.Chr.v.カイザーリング伯爵)のお供をして諸外国を旅行できるという絶好の機会に恵まれました。しかしプロイセンの国王で当時の皇太子が思いがけずもわたしをルッピンに召し抱えてくださり、党の旅行も行かずじまいとなってしまいました。しかしわたしが正式におつかえするようになったのは国王になられた1740年からです。シャルロッテンブルグの宮殿で国王が奏されるフルートを、ひとりチェンバロで伴奏するという光栄に与ることができたのであります。この時から1767年の11月までずっとプロイセン宮廷に仕え、他の地への有利な招きも数度ありましたが、それに従うこともありませんでした。国王も恵み深く、俸給の増額を持ってわたしの行いに応えてくださいました。1767年、亡き楽長テレマン氏!の後任として私はハンブルグに音楽監督として迎えられました。国王は再三再四、私に忠誠を誓わせようとなさいましたが、私はようやくお仕えから離れることができました。そして国王の妹君アマーリアは、旅立ちに際して楽長の称号を与えてくださいました。
<C.Ph.E.バッハ 自叙伝 より> ----解説から 訳:久保田 慶一- 2005年07月06日13:03
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